ヨミカツ

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これからの時代に問われる真の国語力とは

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4月4日付け朝日新聞朝刊11面 オピニオン『国語を学ぶ』とは

(参考:https://www.asahi.com/articles/DA3S14429128.html?iref=pc_ss_date)

東京大学 名誉教授 根本彰さん

まとめ

・日本の義務教育における国語教育は筆者の論点を的確に理解する“他者に寄り添う力”を問うてきた。読解力とは書き手の意図を読み取る力のことである。

・日本人は英語で言う“リーディングリテラシー”、書き手の主張を読み取った上で自由に自分の意見を述べ、次の行動に結びつけることが苦手である。

・国語教育において個々の表現力を伸ばそうと試みたこともあるが太平洋戦争後、同じ方向へ進む従順な日本人を作り出す為、その計画はなくなった。また、1980年以降は探究型の学びの導入のたびに“学力が低下”する、との批判を受けた。

・国語力の定義を見直し、自分の考えを論理的に伝える力をもっと評価していく必要がある。

 

考察

今後更なるグローバル化が進むこの世の中を生き抜くためには、情報の真偽を見極め、理解し、自らの責任の元に行動することが必要であると考えている。

 

日本人はいかなる時も冷静沈着だなどと揶揄されることが多かったが、それは恐らく周囲の意見を分析してきただけで、行動をしていなかったことを揶揄していたのではないだろうか。真面目で、研究熱心で失敗を避けて通りたい日本人は消去法で選択肢を絞り込み、保険をかけて進んでいくのである。人の失敗をも情報としてかき集めるのならば、自ずと正しい答えが導き出され自らが痛手を追うリスクは格段に減る。

 

しかし、他人の意見を分析して選ばれた選択肢は消去法で最後に残った選択肢であり、そこに熱意は感じられないと思う。

 

前例を元に、可能性を追求して行った結果辿り着いた選択肢を選ぶ行為は“判断”であり、データ集めれば集めるほど、過ちを犯す可能性は低くなる。しかし、私たちは時に、前例の無いこと、他人は経験したことがない分野において短時間で何かを選ばなければならない場面に遭遇することもあるだろう。このように瞬時に自分の頭で考え、責任をもち判断を下すことを“決断”と呼ぶ。

 

決断を下す時に大事なことは、自分の意思をきちんと相手に説明する力だと思う。

 

日本人が得意な相手の意図を汲み取る力をベースに自分の頭でしっかり考え、出した決断に対して自信を持って行動出来るような人に私はなりたい。